【ちきゅう部だより】ちきゅうのはじっこで考える vol1

こんにちは、どうぶつ基金事務局です。

本日は「ちきゅう部だより」の新シリーズをお届けいたします!

貴重なお話を聞かせてくれるのは、バックパック1つで
世界中を旅するアウトドア&通訳ガイドの青崎涼子さん。

青崎さんの視点で語られる自然の姿はとても魅力的でワクワクします。
こんなご時世でなければ、明日にでも旅立ちたいほど!

厳しくもあり優しくもあり、そして何よりも美しい地球の自然を
私たちはどれだけ後世に残すことができるでしょうか?
そんなことを考えさせられるお話です。ぜひご一読ください!

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ちきゅうのはじっこで考える vol1

みなさん、こんにちは。

東京を起点に、日本、世界中の自然を旅し、旅や山のガイドしている
青崎涼子と申します。今回、ご縁をいただき、私が今までみて、体験してきた
自然の中で感じてきたことを、皆様に共有させていただけることになりました。

ちきゅう部が目指す、「美しい地球をやさしさで包み込」めるような視点で
記事を書けたらと思っております。よろしくお願いします。

アラスカのはじっこで考える私

さて、私は子供の頃から「はじっこ」が好きでした。

パン屋で、サービスでもらえるパンの耳の大袋を愛していたし、
遠足の弁当用に母が用意してくれた、整然と並べられた太巻きでなく、
お皿に別盛りされた、きゅうりや卵焼きがぴょこんと飛び出ている
端だけ集めた太巻きが、実は弁当よりも楽しみでした。
いやいや、食べる話ではなくて、地球の話。

20代の頃、仕事でアラスカのデナリ国立公園を訪れました。
アラスカ州は、アメリカ50州のうち、49番目にできた新しい州。
北緯66度33分以北の北極圏を持つ、いわばアメリカの端っこ、地球の端っこにあたります。
広い大地に人口70万人、人口密度は1平方キロメートルあたりに0.4人と、
ラストフロンティアという愛称がぴったりの北の大地です。
(ちなみに東京23区の人口密度は、1平方キロメートルあたり15,000人!)。

訪れたデナリ国立公園は、北米最高峰のデナリ山を背景に、
アラスカらしい野生動物が観察できることで有名な国立公園です。
日本の四国よりも大きいというこの公園には、
公園入口から1本だけダートの道がつけられていて、公園奥に入っていくことができます。
そんなたった1本の道なのに、その道へのマイカーの乗り入れは禁止されており、
公園が運営するシャトルバスに乗らなければいけません。
東京に住む私からしたら、なんとも壮大な大自然です。

ごとごととダートを走るシャトルバスの車窓からは、見渡す限りツンドラの大草原で、
次々と、ガイドブックに書いてあったグリズリー(ひぐま)やムース(ヘラジカ)など、
会いたいと思っていた動物が現れ、その都度、ドライバーさんが嬉しそうにアナウンスしてくれます。

うぁー、これがアラスカなんだなあ!と大興奮。
すっかりとりこになってしまった私は、この時をきっかけに、
休みの度に何度もアラスカに通うようになりました。

デナリ国立公園で出会ったグリズリー2頭

ところがある日、定宿としていていた民宿のおじさんに、
デナリ国立公園って素敵ですよね!と話をすると、鼻で笑われてしまいます。
「あそこはディズニーランドみたいなものだよ。
ちゃんと道路が走っていて、安全管理もされている。
本当のアラスカを知りたければ、公園の外の原野に行かなきゃだめさ」、と。
眼から鱗、考えたこともないアイデアでした。

公園でもない、道もない場所へ行く。
アラスカの地図をみると、そのほとんどが建物も道路も存在しない場所で、
ここに自分が立ったら、そこにはどんな景色が広がっているんだろう!?と、 興奮しました。
それが、地球の端っこへの興味の始まりだったのだと思います。
以来、アラスカやお隣のカナダのユーコン準州から始まり、
いろいろな場所を旅してきましたが、
今日は、その最初の頃の旅の話をしたいと思います。

デナリ山を抱く公園。この道路の、その先へ行きたい。

というわけで、アラスカの「道もない、人がいない」原野に興味を持った私は、
アメリカのアウトドア学校の扉をたたきました。
アウトドアの分野では日本よりずっと先をいっているアメリカには、
NOLS(National Outodoor Leadership School )という野外教育の専門学校があり、
そのアラスカ校の、野外教育者になるためのクラスを受講しました。

最初の授業は原野で1ヶ月のサバイバル生活。
容量100L、自分がすっぽり入るくらいの大きなバックパックに、
テント、寝袋、調理用具、10日分の食糧、水、防寒具など、
生きるのに必要なものを全て背負い、道路も登山道もない、
人間の手が付けられていないウィルダネス=原野と呼ばれる場所に入ります。

100Lのバックパックを背負って歩く日々。

毎日、62500分の1の地形図(日本では25000分の1の縮尺がよく使われますが、
アラスカでは、一番小さな縮尺がこの大きさでした。)と睨めっこしながら、
この沢からこの尾根に出て、この峠を抜けて、と進むルートを決めていきます。

10日間に一度、ブッシュパイロット(湖や氷河、河原や草原など、
どこにでも着陸できる技術を持った小型飛行機の操縦士)が、
次の10日分の食糧を届けてくれるので、約束の日に、
飛行機が着陸する河原の指定されたポイントまで到達している必要があります。
最初のうちは、同行インストラクターが、地図の読み方、
ルートファインディングの仕方を教えくれ、彼らの先導のもと進んでいきますが、
1週間もたつと、「じゃあ、私たちは次のポイントで待っているから」と、
朝食後、すぐに姿を消してしまいます。

日本の登山道のようにきれいに整備された道なんてひとつもない、
見渡す限りの大自然のなかにぽつんと残された私たち生徒は
呆然とインストラクターの後ろ姿を見送ります。
心細いながらも、その日の4人チームで知恵を出し合い、
ああでもない、こうでもないと、進むルートを考えます。
ルートファインディングとかっこよく言ってみても、
初心者の私たちに良いルートなどわかるわけがなく、
予想外の草木生茂る藪に突っ込んで、100m進むのに3時間かかったり、
地図には出ていない、ビーバーがダムを作ってできたビーバー沼に足を踏み入れ、
膝までズボズボと沈んで底無し沼の恐怖に怯えたりと、
今だから笑える話ですが、当事者の私たちは心身ともに疲れ果てる毎日でした。

地図をみて考えるが、ルートファインディングなんてすぐにできるようにはならない。

歩くときに、忘れてはならないのが水の確保。
6月半ば、アラスカがいくら北の大地だとはいえ、夏なのでやっぱり暑いです。
さらに25キロの荷物を背負って歩いていて、すぐに喉が乾きます。
各自1リットルの水筒を携帯していましたが、きれいな飲み水の調達は、常に最優先事項でした。

地図に川の流れも書いてありますが、先ほども書いたとおり、
62500分の1の縮尺だと、細かな部分までは分からず、大きな川しか記載されていません。
だいたい、地図に載るような大きな川は、氷河が融け流れ出た水で、
シルトと呼ばれる氷河砂が混じって白く濁っていることが多く、
あまり積極的に飲みたい代物ではありません。

また、沼や湖などの動きのない「止まった」水よりも、
大地から染み出して流れ続けている小川、
湧水など「動いている水」のほうが、飲み水としては好ましい。
よって、歩いている間ずっと、それこそウサギのように耳をそば立てて、
遠くで水の音がしないか、小川が流れていないか注意しています。

音だけでなく、見える景色もヒントになります。
ツンドラの大地の一部が他よりも濃い緑色だったり、植生が少し違っているのが水場のヒント。
野生動物たちも水を飲みにくるので、
獣道と言われるうっすらとついた踏み跡を辿ると、
水場を見つけることもできます。

順調に日々何回も小川のきれいな水で喉を潤すことができた日もあれば、
半日探してやっとみつけた沼の泥水を、浄水液をいれ、さらに沸騰させて飲んだこともあります。

ようやく見つけた水場

悪戦苦闘の長い1日を終えると、テントを張り食事。
夕食後、お茶を飲みながら、毎晩全員で輪になってその日の振り返りの時間があります。
北極圏に近い北の大地では、夏至前後の6月は、真っ暗になりません。

太陽は長い間地平線近くをうろうろしていて、斜めから差し込むやわらかな光で、
一緒に歩いている仲間の顔も、遠くにあるテントも、
散々苦労させられた後ろの大きな丘も、キラキラとピンク色に輝いている、
このリラックスできる時間がとても好きでした。

皆でどれだけ今日が大変だったか、藪と格闘して、底無し沼に怯え、
日々巨大化する足のマメと戦っているかという話で盛り上がった後、
しんみりと誰かが言った言葉が、今でも心に残っています。

「家では、水は、蛇口をひねれば出てくるものだった」

「ここにいると、この大地が水を恵んでくれているのがよくわかる。
昨日見た氷河から流れ出てきた溶け水を、一昨日の嵐で大地に染み込んだ水が
濾過されて湧き出てきたこの沢の流れの水を、私たちは口にしている」

夕食後、リラックスのひととき

さらに、このキャンプでは、Leave No Trace、自然の中に入っても、
何もインパクトを与えない、残さないという考え方で旅をしていたので、
使った食器を、洗剤を使って川で洗うことはしません。

まずお湯で食器を綺麗にし、そのお湯はお茶に再利用して飲み、
川から離れた場所で砂で洗って、最後に煮沸消毒する。
川を汚すことはありませんでした。

教えられたから、というのもあるけれど、
飲み水だと思ったら、心理的に、川を汚すことはできませんでした。

いつまでも夕暮れ、柔らかな光の夜10時

このプログラムに参加していたメンバーのほとんどは、アメリカ本土の、
都会で暮らす若者なので、私も含め、普段は、文明の便利さを、
それを当然として享受しながら生きている人間です。
文明を剥がされたときの自分の小ささと弱さを、誰もが感じていたように思います。

自分もこの地球に住まわせてもらっているの小さな一員で、
大地から与えられているものの大きさとありがたさを、
頭でなく、身体で理解する日々でした。

過酷な遠征を通して、アウトドア、山の中での技術を身につけられたのは
当初の目的だったので良かったのですが、それよりも、
水を探して必死に耳をそば立てていたあの感覚の方が、
私のその後の人生にとって大きな収穫だったように思います。

文明から離れて過ごした1ヶ月の旅

ーー

これを書いている今、峠の向こうはもう新潟という、群馬の最奥部、
たんばら高原に来ています。(群馬のはじっこです!)
中学生の移動教室、自然体験の一環で、このあたりの森を歩くガイドの仕事です。

日本で2番目に長い利根川の源流がこの辺りにあり、あたりは美しいブナの森が広がっています。
少し山歩きをされた方ならわかると思いますが、今の日本は、
戦後に植えられた杉や檜が密集した暗い針葉樹林帯が多いので、
オレンジ色に色づいた葉っぱから差し込む
優しい木漏れ陽の美しいブナ林の美しさは、心が踊ります。

たんばら高原、晩秋のブナ林

足元には、秋ならではの落ち葉がふんわりつもり、歩くたびにざくざくと音を立てます。
街中の公園ではゴミ扱いされ、この落葉の時期は毎朝掃除が大変だと言われる落ち葉も、
ここ森では、土の上にふわふわと積もっていき、
柔らかな極上の絨毯の上を歩いているような気分になります。

やがてバクテリアが小さく小さく落ち葉を分解し、
栄養たくさんの土へと戻っていき、次の世代の木々が育つ大地となる。
木が吸ってくれた雨水は少しずつこの大地を通って浄化されていき、
きれいな湧水となって、再びわたしの喉を潤してくれる。
大地にあるすべてが循環していることを、実感させてくれる、素敵な森です。

半日の森歩きで、東京の中学生がどこまで感じ取ってくれるかわからないけれど、
私がアラスカでハッとした、森と水と自分との繋がりを、
少しでも感じてくれたらいいなと思い、今日も中学生と歩いてきます。

今日あなたが飲んでいる水は、どこから来ていますか?

この水が、利根川に。

<文、写真とも 青崎涼子>

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あなたのご寄付が、地球を守ります。
知ることは、アクションの始まりです❣
https://www.doubutukikin.or.jp/contribution5/
 

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