【ちきゅう部だより】第17回 コンゴの森のひとびと

こんにちは
どうぶつ基金事務局です。

本日は「ちきゅう部だより」コンゴからのシリーズ・第17弾をお届けします!

長年コンゴ共和国に住んでゾウと人間の共存問題に取り組まれている
萩原幹子さんから届くお話。

コンゴからのシリーズもいよいよ次回が最終回となりました。

今回はコンゴのある民族のお話です。
「ピグミー族」
どこかで聞いたことがあるような気もしますが、
世界のどこかの民族というぐらいの認識しかありませんでした。

萩原さんからのレポートではどういう民族なのか、
また生活スタイルやどういった思いを抱えているのか、といった
これまで知り得なかったことを学ぶことができます。

テレビや教科書では学べないコンゴからのリアルレポート、
ぜひご一読ください。

第17回 コンゴの森のひとびと

「ピグミー族」という言葉を聞かれたことがありますか?
中部アフリカの熱帯林に住む狩猟採集民で、その体形が小柄なことから、「小さい」という意味で使われる「ピグミー」という言葉でピグミー族と呼ばれていますが(ピグミーマーモセット、コビトカバの英名ピグミーヒポポタマスなど)、差別的な呼び方だということで、現在は英語やフランス語では「先住民」に相当する呼び方でIndigenous people(インディジナス・ピープル)、Peuple autochtones(プープル・オートクトン)と呼ばれています。
実際彼らは「熱帯林の先住民」として森の資源を利用しながら森とともに暮らしてきた人たちです。

世界中のあちこちに、その国でマイナーな民族と位置づけられる人々が存在していますが、このピグミー族もそのひとつです。ヨーロッパではジプシー(移動型民族)、カナダなどの北極圏に住むイヌイット、アマゾンの先住民、日本ではアイヌ民族など、それぞれ定義や生活様式、抱える問題は違いますが、現代化する社会でも伝統的生活様式を維持しているという特徴があると言えるのではないかと思います。

中部アフリカの歴史では、約2000年前に農耕民がナイジェリア、カメルーンのほうから移動してきてコンゴにも住み着いたということです。農耕民のことは「バンツー」と呼んでいて、元から森に住んでいた狩猟採集民と区別されています。ピグミー族というのはそういう狩猟採集民の総称で、ガボンやカメルーン、コンゴの地域によって民族が分かれていて言語も生活様式も違っています。私がコンゴのオザラ・コクア国立公園のンボモ村で調査を始めた2004年に、私は初めて狩猟採集民のことを知りました。
彼らはバンツーから「バンベンガ」と呼ばれているのですが、差別的なニュアンスがあります。ですので彼ら自身では自分たちのことを決してバンベンガとは言いません。現在はフランス語でプープル・オートクトンと自称しています。

オザラ・コクア国立公園北部の村に住むオートクトン

なぜ差別されているのでしょうか?
私はプープル・オートクトンと接してきてつくづく、自由に生きている人々だ、と確信しています。バンツー、すなわちコンゴの場合は1880年に白人の占領者が来て先進国のような社会の仕組みを作り、それに入り込んで適応している人々からすると、その自由さゆえに型にはまりきれないのです。
この国立公園周辺では、植民地時代からオートクトンは森の中に入ったままではなく、バンツーのように村に定住するように強いられました。政府が国民として把握して、投票権を与えたり、保健衛生に配慮してのことです。そして、もともとは森の中で野生動物を狩猟したり、野生の植物を採って食べて生活してきた人々ですが、畑も耕すようになりました。子どもも学校に行くようになりました。バンツーに下働きとして雇われて報酬が現物や現金で払われたり、野生動物の肉を村人に売って現金生活をするようになりました。
ところが、畑は農耕民であるバンツーのようにうまく大規模にもできません。また森の中に価値のある果実が実るようになると、家族総出で森の中に出かけて行って泊まり込みで加工作業をしたり、行きたいときに狩猟に出かけて
行くなど、バンツーとは異なるリズムで生活しています。(バンツーは銃で狩猟をしますが、オートクトンは大勢で網を張って犬も使って狩猟します。)白人やバンツーの観点とは離れた価値観で生活しているのです。

野生のマンゴーと呼ばれるペケという木の実、中の種を割って胚乳の部分を取り出し、加工して料理に使います

私の仕事の対象はマルミミゾウと地域住民の共存で、オートクトンには特に注目していないのですが、それでもプロジェクトの関係上、ときおりアシスタントを通して私の仕事をしてもらうことがあります。プロジェクトの畑を開墾したときは、最寄りの集落の住民の多くがオートクトンなので、下草の生い茂った森を数人で開墾してもらいました。
使い込んで刃がすり減ったナタでばっさばっさと、歌いながら、どんどん草を刈っていく様子はたくましいばかりでした。そして野生動物の肉を買って、お昼ごはんはその場で焚火をして料理します。ところが前述のように我々のリズムと違う生活の彼らは、数日にわたる仕事が終わっていないのに今日は森に出かけるから、と勝手に急に休みにしてしまったり、途中でやめてしまう人が出たりで、こちらが立てた予定どおり仕事を進めるのが困難なことがあります。また、キャッサバ畑の雑草刈りをオートクトンの女性たちに依頼したときは、乳飲み子を含む子どもたちに犬にと、一家総出でやってきて、おしゃべりしながら料理しながら、畑の中にある倒木から出た薪を集めたりしながら、あまりにゆっくり仕事するので、とうとう途中で依頼は打ち切りました。

森の下草を刈っているオートクトンの若者男性たち
畑の植付け作業についてきた子どもと犬

先に差別されていると書きましたが、このような仕事を頼むとき、バンツーの社会では、バンツーに払う報酬とオートクトンに払う報酬では金額に差をつけています。畑の中の仕事を頼むと、作物を盗まれるというふうにバンツーから見られてもいます。自分たちでは畑を小規模でしかしないため、人の作物を盗む人がいるのです。それでもまた別の機会に、下草を刈って、地中に張っている木の根も除去してもらう仕事を頼んだときは、「つるはし」を必要とする作業すら「なた」でうまい具合に根っこを掘り出し、畑にする場所をきれいに整地してくれたので、私はすっかり関心してしまい、バンツーと同じレベルの報酬を渡したら、飛び上がって喜んでいました。バンツーの人々も、彼らが得意な仕事を認識していて、オートクトンは必要とされる存在でもあります。
前回書きました蜂蜜の採集もそのひとつです。

疲れたらつる性の植物を切ると出てくる水を飲みます

またオートクトンは仕事だけでなく、お祭りのときの重要な盛り上げ役でもあります。国立公園周辺の地方では少年の割礼祭りの慣習があり(第12回コンゴのツーリズム事情参照)、1週間ほど続く苦行に耐えて前夜祭では徹夜、そして最終日には肩車された割礼少年が踊るのですが、少年の家族は地酒をたくさん用意し、村人たちにふるまって歌って踊って盛り上げてもらわねばなりません。
そんなときオートクトンは男女ともども、太鼓をたたいて延々と歌い踊り続けてくれます。オートクトンといえば「ポリフォニー」という、独特のハーモニーとリズムで歌うのが有名です。一度テレビ取材の下見で、「狩猟に出る前夜の歌」を歌ってもらったことがあるのですが、彼ら自身もとても楽しみながら歌っていて、意味はわからなくても本当にエネルギッシュで血が騒ぐ音楽でした(このときも気分高揚のためにお酒が必要でした)。もちろん楽譜などない、口頭で伝承されてきた音楽です。

村中の人々が集まる割礼祭りでオートクトンは重要な歌い手・踊り手(写真の大部分はバンツーの村人)

さて、オートクトンの中には、コンゴのもっと北の地方ではいまだに森の中に住んでいる部族もいます。
森の中に生えているクズウコンという大きな葉で小さな家を作り(冒頭の写真)、そこを拠点に狩猟したり魚を釣ったりしています。日本では京都大学の人類学者たちがこのようなオートクトンの研究で有名で、隣国カメルーンやガボン、コンゴのオートクトンについて様々な文献を書いています。日本人だけでなく、イギリス人やフランス人も森の中に住み続けるオートクトンの研究に熱心だそうです。
ところが、オザラ・コクア国立公園周辺のオートクトンのように、村に定住している人々についてはあまり関心が払われないそうで、ある人類学者から聞いたところによると、そのような「アカデミック」な人類学の分野では、私のいる国立公園周辺のオートクトンについては全く研究がなされていないばかりか、存在も知られていないそうです。人類学ではもう元の「森の先住民」の姿ではなくなってしまって半バンツー化したオートクトンは研究しても意味がないということなのかもしれません。

しかし、コンゴ政府や国際NGOには、森の中にいようが村に定住していようが、すべてのオートクトンが認識され、人権保護の対象とされています。コンゴでは人口に占めるオートクトンの割合は1%ほどだそうですが、「法務・人権・先住民族促進省」という、政府の省の名前にまで組み込まれています。というのも、こういった先住民は先進国の進出による様々な影響を受けているからです。たとえばコンゴのオートクトンに関しては、先祖代々住居と活動の場所としていた森が、国立公園などの保護区に指定されることで、立ち入り禁止にされたり、採取してはいけないものが指定されたりします。また、森林に伐採会社が入ってきて、大木をチェーンソーで切り倒す現場は立ち入り禁止になってしまいます。
オートクトンの活動は規模が小さく、サステイナブルですが、バンツーや外国人がこのような保護区や伐採会社で森に入ってきたり、最寄りの都市の人口が増えたりして、野生生物の狩猟が増えたせいで絶滅危惧種が増え、狩猟の規制の影響をオートクトンも受けてしまいます。
森に入れなくなることは、食料の問題だけではなく、病気のための薬草を採取できなくなるという問題もあります。

そこで世界のあちこちの先住民の権利を守る国際NGOがあり、コンゴでもオートクトンに不利益を生じている原因を解消すべく活動しています。
私のコンゴ人の友人はそのひとつ、イギリスのフォレスト・ピープル・プロジェクトのスタッフです。友人たちスタッフはコンゴ北部の森の中に住むオートクトンを訪ね、困っている問題を聞き出したり、それを彼ら自身で表すための援助をしたり、政府の関係機関との調整役を担ったりしているそうです。特にオートクトンの女性たちは非常に恥ずかしがりなので、女性を対象にワークショップも開催しているそうです。
もうひとつ、サバイバル・インターナショナルというNGOは、国立公園のレンジャーがオートクトンに暴力をふるっているという情報を得て公園の管理団体へ対処を求めたりしています。このような国際NGOが手を差し伸べなければ、なかなか自国内だけでは表に出ない問題なのかもしれません。

フォレスト・ピープル・プログラムのウェブサイト
https://www.forestpeoples.org/en

サバイバル・インターナショナルのウェブサイト
「先住民は最良の環境保全者です」
https://i.r.cbz.jp/cc/pl/gxrx5667/j4fqj0exkux6/5rmz71jl/

そこで、私の行っている村のオートクトンたちは何か問題を抱えているのだろうか?と思い、聞いてみました。ンボモ村には、ンボモ郡下にある周辺の村すべてのオートクトンを代表する団体の責任者がいるのです。
ここでは幸い、理不尽な暴力行為などはないようでした。代表の男性フランソワさんによると、彼らの希望することは、生活条件の改善です。
「森に最初に入ったのは自分たちである。森の主と言われる。なのに、外国から調査にやってきたりするけれども我々の生活を改善することはやってくれない。森の中には仕事で入るので葉っぱを敷いて寝ます。でも村ではバンツーと同じようにマットレスで寝てもいいではないですか。コンクリートで建てた家にだって住みたい。木と葉の家では朽ち果ててしまう。」
彼らも自分たちに無いものに憧れるのは当然なのですが、バンツーは自分たちでお金を稼いで家を建てているわけで、彼らもがんばって貯金してコンクリの家を建てられたらいいのですが。

村でオートクトンが建てて住んでいる家と子どもたち

また、月給という定収入にも憧れています。「プロジェクトや企業がやってくるが、我々の中からは誰も雇われていない。仕事をして給料がもらえれば自分たちで生活を改善できるのに。」これは前述しましたように、究極の「自由人」であるオートクトンが毎日朝から夕方まで勤務する仕事に適応できるのか、と私は疑問に思います。彼の息子が村のオートクトンで唯一、高校卒業資格であるバカロレアを取得しました。が、その後の発展がなく、仲間と森に入ったりしています。彼自身が強く希望すれば国立公園に雇われたり、と道が開かれると思うのですが。
オートクトンの代表が描く未来像と、人々の現実には差があるようです。

もうひとつの問題は医療です。
村には病院も薬局もあるのですが、「お金が無かったり、バンツーの病院や薬局に行くのが恥ずかしくて、病気を我慢したり放置したりして、死んでしまうことがよくある。自分たちで管理する薬局があるといい。森には伝統治療薬ももちろんあるけれど、よく知っている人に頼まなければならない。時には恥ずかしがって、隠しているんです。」
これは、ただ薬局をあげればいいだけの問題ではなく、健康管理についての普及教育が必要なのでは、と思いました。
ちなみに、この代表者のフランソワさんはフランス語やリンガラ語(現地語の共通語)が話せますが、多くのオートクトンは部族の言葉しかよく話せず、また外部の人たちと話すことに慣れていないので、例えば私が直接リンガラ語で話し合ってみたくても、なかなかうまく会話できません。
なのでこのようなインテリの代表者を持つことも、とても大事なのです。
またンボモ村ではオートクトンは村の隅の一角に固まって暮らしています。
村の中心にドイツのNGOが作った幼稚園にオートクトンは子どもを入れないので、彼らの地区にオートクトンのための幼稚園も作られました。

ンボモのオートクトン代表フランソワさん

最後にこの代表のフランソワさんから聞いたお話を紹介します。
「先祖の時代には、動物に変身して遠くに行くことができていた。18キロ離れた村に行くのに夕方出発するのだけれど、懐中電灯で前を照らして行くとき、後ろを照らしてはだめだと言っていた。後ろでヒョウに化けているから。そして村に近づくと人間に戻っている。こういうことはキリスト教が普及して教会で祈るようになっているので、消えていって、今はできない。でも血の中には残っている。足を捕まれそうになると、ひょいっと木の上に飛び上がれます。気づかれないうちにあっちのほうへさっと移動できるんです。」

参考
駐米コンゴ共和国大使館
https://i.r.cbz.jp/cc/pl/gxrx5667/dnjskscvfhan/5rmz71jl/

萩原幹子
プロフィール
日本で会社員をしながら野生生物保全論研究会(JWCS)など
複数のNGOのボランティアを経て退職後、
2002年イギリスのケント大学で保全生物学修士取得。
2004年から3年半、中部アフリカのコンゴ共和国オザラ国立公園で、
マルミミゾウの畑荒らし問題の調査にたずさわり、そのままコンゴ共和国在住。
現在はフリーランス・コーディネーター、JWCSのプロジェクトスタッフ。
2021年から再びオザラ国立公園でマルミミゾウの畑荒らし問題に関するプロジェクトを実施中。

知ることは、アクションの始まりです❣
https://www.doubutukikin.or.jp/contribution5/

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