【ちきゅう部だより】第18回 コンゴで考える人間の家族と犬の家族

こんにちは
どうぶつ基金事務局です。

本日は「ちきゅう部だより」コンゴからのシリーズ・第18弾をお届けします!

長年コンゴ共和国に住んでゾウと人間の共存問題に取り組まれている
萩原幹子さんから届くお話。

2023年の4月より1年半にわたってお届けしてきた
コンゴからのシリーズも今回が最終回です。

これまで野生生物や環境、産業やそこでの日常まで
コンゴについて、さまざまなことを知ることができました。

萩原さんからのレポートによって、
遠いアフリカの国が少し身近になった気がします。

最終回はコンゴにおける家族のお話です。
ぜひご一読ください。

第18回 コンゴで考える人間の家族と犬の家族

17回にわたり、野生生物保全に関することやコンゴでの経験、見聞きしてきたことを書かせていただきました。コンゴに暮らして通算19年以上になりますが、いまだに発見の日々が続いて飽きることがありません。
また逆に、すっかり日常的になってしまったことでも、日本人の友人・知人に話すと驚かれることもあります。
そのひとつ、最終回は「家族」について書かせていただきます。

アフリカの家族というと「大家族」というイメージを持たれると思いますが、まさにその通りです。血のつながりのある家族だけでなく、私が2004年にコンゴで調査を始めて以来の付き合いのあるコンゴ人たちは、私にとっても家族のようになってしまっています。
また、夫はベナン-コンゴ人ですが、ベナンに多くいる家族はもう家系図を作らなくては理解できない、と作成したらたいへんな数の親族になりました(冒頭の写真は夫の両親とその孫たち)。その理由はなによりも子だくさんだからなのですが、子だくさんの話は後述します。

日本社会では家族のつながりがどんどん薄れていっていますね。
いとこはもちろん、きょうだいですら、年を取ると連絡を取り合っていないとか、遠慮して緊急時の連絡先にすらできない、病気や死亡といういざという時も独りぼっちの人がどんどん増えているという記事を目にします。
こういうことはコンゴについて言えば本当にありえない話です。
いとこでもきょうだいと呼びますし、おじ・おばでもお父さん、お母さんと呼びます。コンゴ人に「お母さんが亡くなった」と言われると、あなたを生んだお母さんなの?と確認してしまうのですが、するとお母さんの姉や妹だったりします。確認したくなるのは私が日本人だからであって、その人にとってはおばであってもお母さんなのです。そして時には、生みの母よりも世話になった人だったりします。
特に子どもがまだ学校に通う年齢のうちは、きょうだいの子ども、つまり姪や甥も、自分の子と同様に面倒を見合うのが当たり前のような習慣があります。両親は健在であっても、親のきょうだいが住んでいる町の学校のほうが良いとか、勉強の環境が良いとかいう理由で、きょうだいの家で面倒をみてもらいます。受け入れるほうも、自分が生んだ子どもでなくても、自分の子どもと同じようにしつけたり時には体罰を与えたりするのも平気です。

そういうことが一般的なので子ども同志も、一緒に育ち、いとこだけれどもきょうだいのようになっているのです。しかもきょうだいについては、腹違い、父違いという場合が非常に頻繁にあるので、私のお兄さんです、妹です、とか紹介されると、私はまたついつい、同じお父さんとお母さんのきょうだい?と聞いてしまいます。
すると同じ父で母は違う、とかいう説明が返ってきます。そこでも、たとえ父違い、母違いであっても、コンゴでは
普通にきょうだいの関係です。例えば子どもがもう高校生ぐらいになって、お父さんが別の女性と子どもを作った場合でも、その子どもをすんなり自分の弟や妹として受け入れて可愛がるのが普通です。

これらのことは日本を顧みるにつけ、本当に寛容だなあと思います。
日本人は生みの親に育ててもらうのが前提ですから、生みの親への執着が非常にあると思いますが、コンゴ人たちを見ていると、実のお母さんよりおばさんのほうが自分をかわいがって育ててくれたらそれで十分、みたいな生物学的親との関係はクールな感じがあります。

私の家庭でも実際、私たち夫婦には子どもがいませんが、夫の姪っ子と甥っ子を預かっています。姪は夫の弟の娘、甥は夫の兄の息子です。どちらも両親ともに健在ですが、両親の婚姻状態は終わっているので、父方の家族で面倒を見ている格好です。
姪は13歳のときにベナンから呼び寄せ、今は大学生になっています。甥はベナンで大学に進学させる親の助けがなかったために、コンゴに呼び寄せて大学に通わせて2年目になります。夫は両親の子ども5人の中では長男ですが、腹違いの兄と姉、父違いの兄と姉がいます。つまり両親が結婚する前にそれぞれ子どもがいたのですが配偶者とは死別していました。これらの兄、姉たちとともにきょうだいとして育ったので、フランスに行ってしまった兄の息子も自分
の子のように考えているのです。私ももうアフリカ的に、「うちの娘が、うちの息子が」と言ってしまうほど普通に彼らのお母さんになっていて、平気で叱ったりもしています。
アフリカでは「子どもは親の言うことを聞くもの」という常識があり、家のこともいろいろな用事を言いつけてやってもらえるので、私も助かってもいます(水汲み、掃き掃除、皿洗い、草刈り、買い物など)。私などは勉強しているときは邪魔しないほうが、と思うのですが、夫はお構いなしにいつでも呼び立てています。
その代わりというか、夫も教育者なので私たちはいつも教育的意味を考えるように接しています。

親と子の関係を見てきましたが、きょうだいのつながりも強いです。
私のコンゴ人の親友は8人きょうだいですが、親しい友達よりも、やはりきょうだいと一緒にいることのほうが多いように思います。すっかり大人になって独立していたり結婚していても、歩いて行ける距離や同じ地区に住んでいて、平日でも週末でも、行き来しています。私もその親友と友達になって以来、彼女のきょうだいたちともすっかり友達になっていますし、きょうだいを超えて直系の家族以外の結婚式にも呼ばれたりしています。
ともかく家族が多いので、誰がこうしたああした、という話題に事欠かないのと、身内だと年齢で上下関係がはっきりしていますから、誰かの発言で腹が立って嫌な思いをしたりということも、他人よりも少ないのではないかと思います。長男、長女は親の次に権限があって、下のきょうだいたちの面倒を見る責任があり、妹、弟は姉、兄の言うことは聞かなければならないのです。

また私のケースですが、長男である夫は四男の弟がベナンでバカロレアという高校卒業試験に2回落ちたために、14年前にコンゴに呼び寄せて合格させて大学に行かせました。弟が修士課程に進んだ途中で彼女が妊娠したために家庭を構えなければならなくなり、学業は中止しましたが、妊娠・出産の面倒もすべて私たちが見ました。
その後弟は仕事が見つかりしばらく首都で家庭を築き独立していたのですが、仕事を辞めたので郊外の私たちの家の近く(約60メートルほどの距離)で、私たちの土地に建てた家に引っ越してきて、上記コンゴ人の親友のように、きょうだいで近くに暮らしています。弟もコンゴ人の妻も娘も、普通に私たちの家に出入りして食べたり過ごしたりしています。
しかも、妻は自分の姉と仲が良いので、私たちも姉と彼女の子どもたちとも親しくなり、我が家に弟の娘と妻の姉の
娘が遊びに来ることもあります。日本を考えてみると、これはやはりあまりないことだな、と気づきました。私の兄の妻(義理姉)のきょうだいとは、兄の結婚式以来会ったことはありませんし、これからも会わないでしょう。
日本人的にはとても遠い親戚でも、簡単に家族づきあいが始まってしまうのがアフリカです。

夫の弟の娘ふたりとその母方のいとこ

仲良くすることは、一緒に楽しい時間を過ごすだけではすみません。病気のときには共に心配したり、不幸の際はお通夜・お葬式に行ったりお香典を出したりせねばならず、そういう負担がある家族が増えることでもあります。
私が森で行っているプロジェクトのアシスタントも、特に小さい村なので村中親戚だらけで、毎月のようにお葬式があったりします(逆に結婚式は稀)。

日本だと、このように家族が多いことをうっとおしいと思ってしまうのではないでしょうか。
日本でも地方ではまだ昔からの慣習が残っていて、親戚の集まりや儀式などの縛りがあり、都会のような個人主義の自由が無いところもあるのが若い世代には歓迎されませんね。一方コンゴでは、確かに経済的負担のせいでたいへんだ、と思うことはあっても、家族・親戚が多いことをうっとおしいと思っているふしはありません。逆に「これは家族の問題だ」と積極的に関与してくるぐらいです。結婚にしても葬式にしても親族が集まって会議をします。友達とはしばらく連絡を取り合わないことがあっても、家族とは必ず誰かと常に連絡を取り合っています。

友人のお通夜に集まっている親族、誰がどういう関係かわかりません

ところが非常に稀なケースで、首都郊外のうちのすぐ近所の小屋で一人暮らしをしていたコンゴ人のやや年配男性が孤独死していて、誰も一か月も気づきませんでした。妻とは離婚しており、首都にいる子どもからは一緒に住もうと言われていたのに拒否していたそうです。
うちの隣人が元妻の連絡先を得て呼び出し、隣人と夫と3人で小屋を開けに行ったのです。
生前は道で会うといつも挨拶をしていましたが、最近見かけないなと思っていてもまさか亡くなるとは思いもよらず、ただ小屋の裏に飲んだ薬のごみがたくさん捨てられていたそうです。

寝込むほどの病気になると、私はよく寝たいので部屋にこもりますが、コンゴ人の場合はリビングなど、家族が食事や談笑するスペースの一角にマットレスを敷いて日中そこで過ごします。お見舞いにも次々人がやってきます。病気の時こそ一人で過ごすのはよくない、と言います。コンゴ人はよくも悪くも干渉好きなのですね。

さて、冒頭に書きました子だくさんについてですが、最近でこそ富裕層は子どもの教育にお金をかけたい、と子どもの数は3、4人と少なくなっています。が、特に地方ではまだまだ7人、10人と子どもを持つ人はざらにいます。しかも首都圏にいる知り合いの男性はもう60代ですが、いまだに子どもをもうけ続けていて、32人もいるそうです。もちろん複数の妻・愛人との子どもです。
ちゃんと世話ができるならたくさんの子どもに囲まれた人生もよいのでしょうが、苦しむために子どもを産んでいるのか、と思ってしまうような親もたくさん見かけます。頼まれたのではなく自分たちで子どもを作っておきながら、入学シーズン、クリスマス・シーズンは出費がたいへんだ、病気をしてお金がたいへんだ、しまいには日々の暮らしがたいへんだ、と嘆いているのです。子どもを生むのは喜び、育てるのは苦しみ、とまさにそういう感じです。

どこにでも子どもはたくさんいて、すぐに集まってきます

タイトルに「犬の家族」と書きましたが、2頭、3頭と中型~大型犬を飼っていると犬の家族社会についてもおもしろいことがたくさんあります。
2022年に妻、夫と相次いで11歳で亡くなった2頭は、仲の良い夫婦でした。
メスのナミにはロットワイラーの血が入っているので、首都の同じ犬種のオーナーが交配させてほしいと言ってきて、首都に連れていき、3日ほど一緒に過ごさせました。が、ナミの拒絶はかたくなで、誰も交配に成功したところは確認できませんでした。その後いつまでたってもうちの事務所からそのオス犬が飼い主の元に引き取られないので、人気のないことが多いしちゃんと食べていない、かわいそうだ、とうちに連れてきました。
すると夫であるテツはもう即座に攻撃態勢、よそ者の若いオス犬レックスも果敢に応戦し、たいへんな緊張感がただよいました。メス犬は発情しても特定のオスに忠実なことがあると読んだことがあるとおり、ナミも夫、テツの側に付いて、一緒に若いレックスを攻撃するのです。レックスをケージに入れてももう敷地内の緊張感がすごく、1週間ほどで首都に返さざるをえませんでした。

レックス(左)とナミ(右)の初対面
うちに来たレックスを監視してついて回るテツ(左)

その先代犬も9歳ごろには番犬としての力が弱って夜もぐっすり寝てしまい、泥棒が入ってしまったため(家の外にあった鍋が盗まれた)、世代交代に若いオス・メスを飼い始めました。
メス犬レナは友人がもらった子犬として預かっていただけのはずが、うちの犬になることに。オス犬クーパーは4か月齢のときに買いました。どちらも2020年末生まれです。最初は先代の夫婦の子どものような感じでうまくいっていたのですが、娘犬レナが発情したときに事件が起きました。もうおじいさんの年齢であるテツもレナにマウントしたがって追い掛け回すのです。クーパーもすでに成熟して、レナを追いかけます。レナはテツのことは嫌がっているところ、おばあさんであるナミがテツの手伝いをしようと、レナに言うことを聞かせるような態度を取ると、突然クーパーとレナ2頭が一丸となってナミに嚙みついて攻撃したのです。ナミも2頭に乗っかられて鳴き叫び、完全に敗北、私が引き離した後はしばらくかなりしょんぼりしていました。覇権交代の瞬間でした。

しばらく親子のように4頭で仲良くしていましたが・・・(左からナミ、レナ、クーパー、テツ)
レナとクーパーの初めての交配には、ナミもテツも応援参加?

ナミの死後、老いぼれかけていたテツは一度元気を取り戻したのですが、やはり高齢で徐々に弱ってきました。すると何もしていないのに若いオス、クーパーは時々テツを攻撃するようになりました。これももう、テツの完全な引退です。私たちはテツに静かな老後を過ごさせようといつもかばわなければなりませんでした。

さて、新世代の若い夫婦、レナとクーパーの2回目の出産で生まれたオスをうちで飼うことにしました。母犬をめぐって父犬と流血の戦いにならないよう、息子犬は去勢しました。それで息子犬「組長」も父に従順なのですが、何もしていないのに父クーパーは時々組長を「癪に障るやつ」とでも言わんばかりに攻撃し、時には噛みついて傷つけてしまいます。一方母犬レナは、息子には優しく、大きくなっても一緒に遊んでいます。
クーパーの攻撃に決して加勢しませんが、止めることもできないようです。
母犬レナは小さいときからおてんば娘で、レナもクーパーも私に一番に構ってほしいので、私に対する嫉妬が原因でたまにファイトが始まってしまいます。クーパーのほうが上位になって強いところ、レナも決して譲らず反撃し、顔を深く噛まれてしまったこともあります。取っ組み合いのファイトが始まると私も箒で叩いたり首輪をつかんだりして引き離そうとするのですが、お互い引こうとせず私も息切れしてしまうほどたいへんなので、なるべく平等に平等に、を心がけています。

普段は社交ダンスのように息の合った夫婦
この親にしてなぜか毛がふさふさの息子、組長

こんな話を友人にすると、昭和時代の夫婦物語のようだ、と喜ばれました。
確かに、現代の夫婦は心の中の思いを隠してクールでいて、それで突然離婚、なんてこともあるようですが、昔のホームドラマで見た夫婦の姿は、言い合いの夫婦喧嘩もよくしていました。コンゴ人の夫婦もよく、外に出てきて大声でわめきちらして喧嘩をするので、近所のみなで止めに入ります。
人間も犬も、このように時には本能のままに、感情的になるほうが、ストレスが少なくていいのではないでしょうか。コンゴの人間・犬の家族を見ているとそんなことを考えてしまいます。


長らくご愛読ありがとうございました。

萩原幹子

プロフィール
日本で会社員をしながら野生生物保全論研究会(JWCS)など
複数のNGOのボランティアを経て退職後、
2002年イギリスのケント大学で保全生物学修士取得。
2004年から3年半、中部アフリカのコンゴ共和国オザラ国立公園で、
マルミミゾウの畑荒らし問題の調査にたずさわり、そのままコンゴ共和国在住。
現在はフリーランス・コーディネーター、JWCSのプロジェクトスタッフ。
2021年から再びオザラ国立公園でマルミミゾウの畑荒らし問題に関するプロジェクトを実施中。

知ることは、アクションの始まりです❣
https://i.r.cbz.jp/cc/pl/gxrx5667/lvl8psp8nwl3/imdvi6zs/

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